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伊藤雄二郎のさわやか系心理学
11、ソウル・フラワー
ブルー・インパクト
透明感のあるブルーの輝きを放つガクアジサイの写真。たった一枚の花の写真に一晩ですべてを変えてしまうほどのエネルギーが隠されているとは誰も想像しないであろう。私自身この花との出会いでスタートした一連の出来事と心理的プロセスを完全には解釈しきれずにいる。科学者が花の美しさの秘密を完全に解読しきれないように、花の美しさによってもたらされる波紋を知性によって完全に解読しきることなどできはしない。その一方で私の感性はこの花によってもたらされる変容のリアリティーと実効性を深く感じとっている。
たった一輪の花との出会いが人間の意識も行動も変容させてしまう。こうしたことは実際に起こり得る。一枚の絵が、あるいは一篇の詩が時として作品の鑑賞者の知覚する世界を完全に塗り替えてしまうほどのインパクトをもたらすように。
作品は鑑賞する側の「まなざし」がなければ、ただの「物」に過ぎない。だが作品と鑑賞する側の意識との間で交流が発生すれば、「物」に生命が吹き込まれ、その生命が鑑賞者の意識の変容を促進させるのである。すなわち変容の鍵は鑑賞力にある。
イメージの力、シンボルの力
イメージを描くことやシンボルを見つめることが様々な心理的効果をもたらすことは何らかの目的をもってイメージやシンボルを使用したことのある人なら理解できるであろう。スポーツの世界では、イメージトレーニングが一般化しているため、イメージを描くことが特定の目的の達成と結びつくことは既に広く認知されている。とはいえスポーツの場合はイメージが明確な具体性を持ち、イメージトレーニングがどのような効果をもたらすかは因果論的に測定しやすい。一方心理的プロセスの促進というような抽象度の高い領域においては、イメージやシンボルの使用とそれによってもたらされる結果は因果論的に結び付けづらく、またその効果も測定しづらい。
それでも深層心理学者たちは心理的過程の展開を促進させるイメージやシンボルの力を高く評価してきた。例えば、アサジョーリは薔薇が開花するまでの過程をイメージで辿る方法をサイコシンセシスの基礎訓練として考案したが、こんなシンプルな方法を行うだけでも、人は自分の中に隠されている潜在的な可能性に気づき、開花させるためのきっかけを手にいれることができる。
アサジョーリはその主著『サイコシンセシス』において「あらゆる科学的仮説、また科学的モデルも実際にはアナロジーにもとづくシンボルである」とし「すべての言葉はシンボルである」と述べている。
現代においては、深層心理学に携わる研究者に限らずシンボルに無意識的過程を始動させる力が秘められていることを多くの人が意識しつつある。例えば映像処理に携わる人々はこうした効果を巧みに活用する術を知っている。その技術はアートやデザインの分野において、職人的な技術を持つクリエイターたちによって活用されてきたため明確な体系化は為されていない。
そのため特定の心理的効果を得るために有効なイメージやシンボルの選択は、クリエイターの経験やカンによって扱われてきた。この領域はやはり「アート」の領域に属する技芸なのだ。
実は深層心理学の分野においてもこうした事情は同様で、無意識的過程を促進させるためのシンボルの選択のための理論や技法については未だにシステマティックな体系化が為されていない。意識の変容というテーマにおけるシンボルやイメージの有効性は認められるとしてもその方法論はつまるところこの技法に関わる人々の感性に頼るしかなかったのである。
それはある意味健全な状況と言えなくもない。今の自分にフィットするシンボルをコンピューターが選んでくれたとして、そのシンボルを本気で大切にしようとする人がどれくらいいるだろうか?
私なら自分が気持ちを惹かれてやまないシンボルか実際の花と対話する。そうでない場合は、信頼する誰かの選んでくれたシンボルと向き合いたい。そして実際に私はそうしてみた。結果は驚くべきものであった。
シンボル・フラワー
私の本質的部分と共鳴するシンボルを選んでくれた永和彩花(ながやすはるたみ)氏は、シンボルを選択するための独自の方法論を確立していた。彼の方法論はシンボルを選択する施術者の感度をぎりぎりまで研ぎ澄ますノウハウによって成立していた。
実際のところワークショップの現場で何らかの目的をもってやってきた参加者の前に複数の花の写真を並べて好きな写真を選んでもらうと、大抵の人がその時の自分のテーマと関連する写真を選んでいる。我々が想像している以上に人間の感覚のアンテナは優れた精度を備えている。永和氏の方法論はこうした人間の備えた感度を信頼することからスタートしている。その意味で彼の方法論も技芸(アート)の領域に属すると言えるが、従来の職人芸よりはるかに洗練され体系化された方法論である。
私たちは一人の人間の本質的部分と響き合うシンボル・フラワーをごく自然に「ソウル・フラワー」と呼ぶようになった。
ソウル・フラワーとは何か?
ソウル・フラワーとは、自分自身の本質を映し出すシンボルであり鏡である。一応はそのような定義が成立する。しかしこの定義だけではまだ不十分である。だが、最初の一歩はこの定義からスタートしたい。
この花の写真を用いてのユニークな方法論は、永和彩花(ながやすはるたみ)氏が、自ら撮影した花の写真をセラピューティックな文脈で活用したことから始まった。
この手法・・・というよりは“現象”を正当に評価するためには、私たちは自らの認識のコンテクストを広げこの一枚の花の写真に向き合う必要がある。
アートというのはひとつの現象である。
その現象は作品と作品を鑑賞する側との交流の狭間で発生する。
鑑賞力なくしてアートは成立し得ない。
作品と鑑賞者の鑑賞力との出会いが「感動」を生み意識の変容へと結びつくのである。
では、鑑賞力はどのようにして磨かれるであろうか?
一番の近道は自分自身にフィットする芸術あるいは何らかのシンボルと向き合うことである。
優れた芸術作品は、われわれの鑑賞力を引き出し育んでくれる。
永和氏から私のソウル・フラワーの写真が電子メールで送信されてきたときに、私が感じた衝撃は、なんとも名状しがたいものであった。写真を見た瞬間、思わず「ウワッ」と叫んでいたが、この「ウワッ」の中には、感動、驚嘆、そして後悔・・・様々な情動が入り混じっていた。
感動はわかるがなぜ後悔?
実はその時私は自分が今、ほんの表面でしか生きていないことを花に伝えられたように感じたのだ。一体いつからそうなったのだろう?できるだけ摩擦が起きないように、当りさわりなく行動するようになってから?日本で生活することが楽に感じられたあたりからそんなライフスタイルが身につきはじめていた。心地は良いが本物の感動にも出会いにくいライフスタイル。目の前の花はそんなライフスタイルを凛とした立ち姿で拒絶していた。
その時、私は花に嫉妬していたかもしれない。瞬間瞬間に細胞を完全燃焼させて生き,一直線に死に向かおうとする花の姿に。
ソウル・フラワーは私の意識を一気に自らのコアへと向かわせた。
そして誰にとってもなぜ自らのコアに近い部分を生きるのが困難なのかも花は教えてくれた。
コアに近づくためには、人は自分の自己イメージから遠いところにある内的要素と向き合い受け入れるプロセスを通過する必要があるのだ。
それはある意味個人的神話を回復し、生きるプロセスとも言える。
自らの未だ生きられていない領域との直面、受容そして変容。
私が久しぶりにアメリカに住んでいた頃のシェアメートたちを思い出したのは、(笑いの宅急便参照のこと)この流れの中で起きたことである。私の中で攻撃性や暴力性と結びつくシェアハウスの仲間たちの記憶。かつて私は彼らを自分の外側に意識していた。だが自らのコアに行き着くまでの過程で今度は自らの内面に潜む彼らの像と出会いなおす必要があるのだ。
あらゆる苦痛と葛藤を乗り越えてそこを通過して、初めて私は自らのコアから生きられるようになる。一枚の花の写真がもたらしたインパクトの一部を言語化すると、そんなストーリーが展開する。
アサジョーリの言う通りすべての言葉はシンボルである。そしてもちろんすべての芸術作品もまたシンボルである。ユング的に言うならシンボルとは「あるもののそれ以上はない絶妙な表現」である。優れたアート、すぐれたシンボルには人を大きく変容させる力が宿る。
自分のコアと響き合うたった一輪の花。だが、一輪の花と本当に向き合うことが出来れば、生の様相が一変する。
そうしたことは本当に起こり得るのである。
永和氏が撮影した花の写真を既存の枠組みに位置付けるなら「アート」に属する。だが氏の実践は、従来のアートの枠組みを大幅に踏み破る力を秘めている。それは従来のアートと異なり特定の個人の意識を触発し様々なインスピレーションをもたらすオーダーメードのアートなのである。
ソウル・フラワーと向き合うことは、自分自身のコアと向き合い内面の奥底に眠るテーマを発見することである。ソウル・フラワーが、私たちの無意識に伝えてくる微細な響きは、私たちの眠りかけた感受性を揺さぶり覚醒させる。感覚を眠らせたままでいたい人にとってはこの覚醒のプロセスは往々にして苦痛を伴うこともある。古い自分の死と新たな自己の再生を促すアートは人を感動させるだけでなく時として人を不安に陥れ葛藤を誘発することもある。
その時、ソウル・フラワーの「美」が伝えてくるメッセージに自らを開くことが出来れば、
このプロセスは速やかに展開する。
一連のプロセスが完了したとき、人は自らが大きく変容していることを自覚するはずである。
変容を促す「美」の力が具現化したシンボル。
それがソウル・フラワーなのである。
私のソウル・フラワーです。花言葉は「聖なる真実」

一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、
もし死なば、多くの果を結ぶべし。(ヨハネ福音書)
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