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伊藤雄二郎のさわやか系心理学






10、 新しいアートの生まれた日

 花と人間精神

花である。人間精神の変容の可能性について語るなら心理学の理論より、まず人と花との関わりについて語るのがいい。人が一輪の花と本当に向き合うことが出来れば、それは大いなる変容のきっかけとなり得るからだ。

「花と言ってしまうのは違うんじゃない?」友人の一人が言った。

彼の言いたいことはよくわかる。石ころであれ小枝であれ、そこにリアルな響きを感じとることができれば、それだけで人は自らの五感が捉える世界の風景をまったく新しいものに塗り変えることができる。美を見出す対象は花でなくてもいいのである。

だが、何の変哲もない道端の石ころの「美」に気づくためには、人は自らの感性の扉を十全に開け放っておく必要がある。残念ながら大方の現代人の感性の扉はそこまでオープンになりきれていない。

だから花である。

まずは花の美しさに気づくことが眠りかけた現代人の感性を揺り起こし知覚の扉を開く助けになってくれる。

 

花が魂を開示するとき

先日(2006年1月8日)開催された永和花彩(ながやすはるたみ)氏の写真撮影のワークショップは、新しいアートの誕生の可能性を感じさせるエキサイティングなものであった。永和氏のホームグラウンドは哲学だが現在は東洋医学専門の治療家として心身統一的な立場から臨床を行っている。そんな永和氏が撮影する写真は、確かにセラピューティックな力を備えており私も氏の写真をセッションで活用させていただいている。

ことさら癒しを強調しなくても、本来優れた芸術作品には人を深く癒し変容させる力が備わっているものである。

1枚のキャンバスに置かれた色彩とフォルム(形態)・・・。優れた絵画は、空間の質を変容させ、そこに居合わせた人々に新たな物の見方を伝え、時代精神を変容させてきた。それがいつしか投資の対象になるようになってしまったのが現代という時代である。

そんな時代に「美」の原点に立ち帰り五感を十分に働かせ「美」の本源に触れるには、私たちは自らの感覚を十分に開いておく必要がある。

その意味で今回のワークショップは、きわめて意義深いものであった。このワークショップの参加者は受動的に美を消費する立場にはなく、自らの鑑賞力を高め能動的に美と対話するチャンスを与えられた。思想家にして治療家である永和氏の写真に対するスタンスは、商業的なカメラマンの写真に対する姿勢とは明らかに一線を画するものがあった。彼の狙いは見た目に綺麗な写真を撮ることにはない。

花の意識に自らの意識をチューニングさせ、花の生命の深層に分け入り人の意識にある種の「響き」を与える写真を撮影すること。永和氏にとってはそれこそが見た目に綺麗な写真を撮る以上に重要なことであった。このようなスタンスで写真を撮る永和氏の撮影の指導方法はカメラを駆使するためのテクニックより撮影者の内面を整えることに重きが置かれたものであった。

とはいうものの、精神だけで質の高い写真を撮ることは難しい。この日我々が捜し求めていたのは、花と人間がお互いに最高の状態で出会う瞬間だった。見ようとしなければ永遠に見逃されてしまう秘められた時空。その微細なポイントを見つけ出すために個人の感性だけに頼っていては、永遠にその瞬間にめぐり合えないかもしれない。やはりそこには何らかの具体的なノウハウが必要である。個人の感性の限界を乗り越えるためにこの日,永和氏が提示した方法論は、アート史上類を見ない画期的なものであった。

 

呼吸の通る構図

永和氏は構図を決めるポイントの解説の際、四角い枠をホワイトボードに描いた。そして一輪の花を手に持ちその花を四角い枠の隅の方に置いて、参加者に呼吸を吐いてみるよう促した。次に花を枠の中央寄りに移動させ、もう一度参加者に呼吸を感じるように促した。

結果は明らかであった。中央に近い位置に花を置いたときの方が、はるかに呼吸の通りがよかったのである。花の角度を一度変えただけでも呼吸の質は変化する。参加者の多くは日頃呼吸法の練習をしている人たちなので、普通の人々よりも呼吸の変化に敏感かもしれないが、大抵の人はバランスのいい構図を見ると呼吸の通りがよくなることを実感することができるはずである。

こうした知識はなくても、一流のアーティストは似たようなことを実践しているかもしれない。だがこの日我々が手にした方法論は、コツさえつかめば(永和氏はこの呼吸法の講座も開いています)初心者でもその日から最高の構図を見きわめられる画期的なノウハウといえる。この方法論を武器に我々はあの究極の瞬間を求める旅に出たのである。

花々とのリアルな交流

花のリアルな姿を捉えるために必要なのは洗い出された透明な知覚である。もしも撮影者の知覚に濁りがあれば、それがそのまま写真に映し出されてしまうからだ。そのため永和氏のアドバイスは、写真撮影のテクニックよりも花に向き合う内的姿勢を重視したものであった。

参加者の撮影した写真を見ながら永和氏の返すフィードバックにそのスタンスがよく現れていた。「花と闘ってるね」「花がすねてるよ」「花の意識に真正面から向き合うのを怖がってるね」「自分の思いを花に投影しないで花から来るものをそのまま花に返すようにしてごらん」

哲学、深層心理学、臨床心理学、東洋医学への造詣の深い氏ならではの的確なアドバイスによって参加者の写真がみるみる変化していく。

花の持つ潜在的な美しさをキャッチするために、この日永和氏が用意した仕掛けにはまだ続きがあった。午後の休憩の後、何やら難しそうな文章の書かれたプリントが配られたのである。そのプリントの中味はなんと「論語」であった。写真撮影のワークショップになぜに「論語」?ところが、この「論語」こそが撮影の関しては初心者である参加者の意識を整える方法論として永和氏が用意した秘密兵器だったのである。

素読と撮影技術

永和氏が論語のいくつかの代表的なセンテンスを解説しながら、全員で声を合わせてそのセンテンスの素読を行うことおよそ10分。その後参加者は、再びカメラを持って花に向き合った。結果は驚くべきものであった。花に向かう際の参加者全員の集中力が格段にアップしているのである。こうして作り上げられた「場」の力に後押しされるようにアウトプットされる写真もこれまでの出来栄えを大幅に更新し始めた。

写真というのは恐ろしいものである。撮影者の精神の骨格が滲みでてしまうものなのだ。
論語の素読は、いわば撮影者の精神の骨格を整えるためのものであったといえる。

永和氏自身、写真撮影のワークショップをリードするのは、今回が初めての試みだったそうだが、結果は予想以上のものであった。ワークショップの終わりに参加者が撮影した写真の中には初心者のものとは思えないほどの輝きを放つものもあった。それにしても出来上がった花の写真を見てまさか「論語入り」とは誰も想像しないであろう。

この日の参加者はこれまでにない新しいアートが生み出される場に立ち会った興奮と共に家路についた。「論語入り」を越える予想もつかない言霊の力のこもったまったく新しいアートの誕生の可能性を夢見て・・・。                                        
                                                 2006,1,10


写真史上初、論語パワー入りの花の写真です。 
            
                                          

       
ワークショップ前に試し撮りした写真です。 


                          
                                                                   

                                    


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